もし仕事が早く片付いたら大川小学校に行きましょう!って隊長に誘われた時は記憶の旅に出てました。
東北の震災の津波で多くの子供達が亡くなったあの学校です。
思いの外釜石から近い北上川の河口付近に位置した釜谷という地区に大川小学校がありました。
廃校になる予定が壊さず後世に残すことになってモニュメントとして佇んでいます。
今は付近の入江は防潮堤の護岸工事も済んで震災以前と違う景色、道路と街になっているのがわかります。
普段はこんなにも静かな場所があの日一変したんですね。
「生きる」をご覧になった方も多いと思いますが、この学校の74人の小学生が逃げ遅れ命を落としています。
映画はなぜ子供達は命を落とさなければならなかったかの真実を知るために遺族が戦ったドキュメンタリーです。
重いテーマですが知らなければならない真実がテーマ。
ひょっとしたら助かった生徒の泥だらけの自転車やランドセルを見て何も感じない人がいるんでしょうか。
まだあれから12年しか経っていない、ちょっと前の現実です。
安らかに。
それしか言葉になりません。
せめて生きてる人間は彼ら彼女らの分まで、今日が自分の最後の日だと感謝して生きていきましょう。
それが供養だと思います。
石巻に戻る途中女川を見下ろす高台に来ました。
ここも15mの巨大津波に襲われたことで有名になった被災の街です。
今は整地が進み新しい街がそして住宅ができていました。
日本人は10年ちょっとでここまで復興させることができることは誇りではあります。
でも自然災害が多いため辛い記憶を心の奥にしまい込んで、災害は仕方がないとする気質でもあるようです。
痛みに耐えるられる心と感じないような心、どっちがいいんでしょうね。
東日本大震災の後、初めて訪れた震災の地でした。
合掌